ドキュメンタリー映画「ニーナ・シモン魂の歌」の曲から知るニーナ・シモンの人生
ドキュメンタリー映画「ニーナ・シモン魂の歌」で描かれているニーナ・シモンは幼い頃はクラシックのピアニストを目指していました。しかし黒人だということで夢を諦め、ジャズピアニストとして活動し始めます。彼女のピアノの才能の凄さはすぐに評判となり、彼女は世界的に有名な歌手へと成長しました。
しかし、あることが彼女の人生を狂わせてしまったのです。彼女の人生を狂わせてしまった事件についてここでは調べてみたいと思います。
>>> Netflixドキュメンタリー映画「ニーナ・シモン 魂の歌」あらすじ・キャスト
ニーナ・シモンの人生を狂わせた事件と歌
1963年6月にメドガー・エヴァーズが殺されるという事件がありました。メドガー・エヴァーズは黒人と白人が一緒に過ごせるを求めて運動を行なっていました。当時は白人と黒人は電車の中でも別の車両に分けられえていて、学校も白人の通う学校には黒人は通うことができませんでした。
そんな差別に対して抵抗していたのがメドガー・エヴァーズでした。しかし彼はミシシッピで白人至上主義者によって殺されてしまいました。さらに同じ1963年の9月、アラバマ州にある黒人教会がKKKによって爆発され、女の子が4人死んでしまいます。当時は教会も白人がいる教会には入れてもらえず、黒人教会が作られていたのです。しかもお墓でさえも別々にされていました。そんな黒人教会の爆破によって子供の命が奪われてしまったのです。
この1963年に続いて起きた事件にニーナ・シモンは怒りを覚えます。そしてニーナ・シモンが作った歌が「ミシシッピ・ゴッダム/ Mississippi Goddam」という歌だったのです。
この歌は公民権運動の歌として人気になりました。これをきっかけにニーナ・シモンは政治的な歌を歌い始めたのでした。
さらにニーナ・シモンはキング牧師と違い暴力も必要という考えを持ち、戦うことを煽り始めます。「Are you ready?」という歌は戦う準備はできた?という歌でした。
ニーナはどんどん公民権運動に参加するようになりますが、過激になればなるほど、テレビなどで歌うことは減っていきました。「ミシシッピ・ゴッダム」はラジオではかけられない曲にもなったくらいでした。
公民権運動の象徴ニーナ・シモンのアメリカとの別れ
ニーナ・シモンはテレビでの露出が減っていきますが、公民権運動には参加し、ステージで歌を歌っていました。ニーナ・シモンは公民権運動のシンボルにもなっていきますが、そんなニーナにとってショッキングな事件が起こります。ニーナだけでなく当時の黒人にとっては支えを失ってしまう事件が起きたのでした。
それが1968年非暴力で公民権運動をしていたキング牧師の暗殺です。黒人社会がショックを受けたこの事件で、ニーナはキンブ牧師に向けた歌「Why (The King Of Love Is Dead)」を発表しました。さらにこんなアメリカにはいられないというように思い始めました。
またこの頃ベトナム戦争も起こり、ニーナは抗議として税金を払うのをやめたのでした。そしてニーナはアメリカから去ることを決め、バルバドスへ向かったのでした。
もし、公民権運動がなかったら、黒人差別がなかったらニーナの人生は変わっていたかも知れません。ただ彼女の戦う力強い歌が生まれたのは、公民権運動に参加したからです。
ニーナにとってはこれが運命だったのでしょう。